流形美術会

流形美術会とは

「流形」とは、世間にあまねくいきわたっている万物の形、神羅万象をいう。
「流形」を会の名称としたのは、世に現れるさまざまな形や現象を、具象も抽象も包含した作品に表現すること、その研鑽と発表の場として流形展を活用してだきたいという願いが込められています。

流形美術会は、絵画・立体/工芸・写真の三部門からなる美術団体です。
毎年、上野の東京都美術館で全国公募展「流形展」を開催しています。
意欲のある方の参加をお待ちしております。

流形美術会の歴史

昭和5年
1930年
昭和25年
1950年
創立期
昭和5年
1930年

創設者は東武曼(あづま たけふみ)。自宅アトリエ「あつま裡」に若手美術家や愛好家たちが集まり「流形美術会」の前身「流形派作品研究会」が誕生した。

中央 東武曼
昭和25年
1950年

第1回流形展

終戦後、再び美術活動が活発化し、日本橋・丸善画廊で第1回展覧会を開催。
主なメンバー:東武曼、東恵美、斎藤守など。

東武曼
「あ(我と彼)」
第1回流形展 出品
昭和26年
1951年
昭和29年
1954年
日比谷画廊時代
昭和26年
1951年

当時日比谷公園内にあった都立日比谷画廊に於いて第2回流形展が開催される。
その後1954年まで年に2回開催されたが、日比谷画廊の閉鎖により一時活動停止する。

日比谷画廊での第2回展
昭和46年
1971年
昭和49年
1974年
銀座タカゲン画廊時代
昭和46年
1971年

東代表が美術評論家の植村鷹千代氏と共に銀座「タカゲン」に画廊開設を提案し、
「銀座タカゲン画廊」が開廊、第10回流形展を開催。会名を「流形社」と改める。

昭和50年
1975年
昭和51年
1976年
神奈川県民ホール時代
昭和50年
1975年

会員数も多くなり作品も充実し、1975年に竣工した神奈川県民ホールに於いて
推薦制公募展としての第15回展を開催した。

第15回展 神奈川県民ホール での記念写真
昭和52年
1977年
昭和63年
1988年
東京都美術館進出
昭和52年
1977年

念願の東京都美術館に進出、「流形社展」を「流形展」に改め、
ポスターの書体をグリーンの特太明朝体に定める。以降公募展として開催される。

第23回展 東京都美術館での記念写真
昭和55年
1980年

東京都の後援を得て、都知事賞、都教育委員会賞を授与されるようになった。

昭和63年
1988

初代代表の東武曼死去により、江口益巳が代表に就任。
運営体制の整備と会報発行を実施。
彫刻部が新設される。

第39回展 陳列の指揮を取る江口代表
平成元年
1989年
平成11年
1999年
平成時代の発展
平成元年
1989年

文化庁から「文部大臣奨励賞」を授与されるようになる。
写真部が本格的に発足。

平成元年
1989年

有楽町交通会館にて第1回「流形社夏季展」を開催。出品者相互の親睦・研鑽と新人の育成をモットーに、毎年活況を見せていた。

第39回展 陳列の指揮を取る江口代表
平成2年
1990年

樽見盛衛を顧問に迎える。

樽見盛衛
「夏の高原」
平成3年
1991年

東京新聞の後援を得て、東京新聞賞を授与されるようになる。

平成5年
1993年

竹内敏信が写真部顧問に就任。

竹内敏信
平成2年
1990年

斎藤守が第3代代表に就任。

斎藤守
「描く二人」
第1回流形展 出品
平成12年
2000年
21世紀を迎えて
平成12年
2000年

第50回展を迎え、会名を「流形美術会」に改名。
夏季展も「流形美術夏季展」となる。

平成13年
2001年

嶋根欣一が第4代会長に選任。

左 嶋根欣一
「セゴビアの城上から」
平成16年
2004年

勅使川原正代を第5代会長に選任。

右 勅使川原正代
「天地融」
平成17年
2005年

彫刻部を廃し、立体/工芸部を新設した。

平成25年
2013年

宮下優一を第6代会長に選任。

宮下優一
「北病棟より(I)」
令和4年
2022年

岸哲也を第7代会長に選任。

岸哲也
「思い出すことなど」